2010年7月31日土曜日

日本教育新聞にて

拙著が下記の通り、紹介されました。
http://www.kyoiku-press.com/modules/smartsection/item.php?itemid=40391

このほかに学校事務8月号にも書評をいただきました。光栄のかぎりです。

悠6月号インタビューより

<リード>
年間20本以上の管理職研修を手がけ、このほどその研修内容を取りまとめ『次世代スクールリーダーの条件』を上梓したばかりの九州大学大学院准教授の元兼正浩さん。「団塊の世代の退職時期を迎え、学校現場には校長養成の時間がない」という氏に、校長の人事研究との出合いと喫緊の課題である管理職養成について語っていただきました。

<本文>

■“伝えたい相手”が教師だった

――いつ頃から研究者を志したのですか。
最初から研究者になりたかったわけではないんです。
小さい頃はパイロットや医者とか、子どもらしい夢ももっていましたし、中・高校時代は運動部を掛けもちしたりして自分の可能性を模索しました。
主演映画を撮ったこともありますが、これは才能がありませんでした(笑)。
その中で思ったことは、自分がすごいと思ったこと、感動したことを人に伝えたいということだったんです。
だから、教育を対象に研究しようというより、まず、伝えたい、教えたいという思いが強かったですね。
そこで、大学で教育学を学ぶのですが、私が進学した当時は、臨時教育審議会が設置された頃で、大学1年の授業でも臨教審の答申が取り上げられていました。でも、これが字面を追うばかりでおもしろくない。
しかし、2年生になって入った研究室で、臨教審が設置された背景、答申の文言に込められた意図、言葉の裏にあるねらいを読み解く、いわゆる批判的教育行政学に出合ったんです。これが非常におもしろかった。
――そこから研究者の道に。
そうです。これを一人でも多くの人に伝えたいと思った。誰に伝えるかといえば、これから教員になる人です。教員養成に携わりたくて、大学院に進みました。

■    なぜ校長は存在するのか

――現在のテーマである校長人事を研究で選んだのはなぜですか。
大学院で研究テーマを探したときに、高校時代の疑問に突き当たるんです。当時、高校生だった私は自分の学校の校長が「なぜここにいるのか」がわからなかった。
なぜこの人は、校長になったのだろう。なぜこの学校にいるのだろう。覇気もなく、学校を引っ張るリーダーシップやいまでいうマネジメントは感じられませんでした。出世のためにきたのではないかとさえ思っていました。事実、高校の校長人事を巡っては偏差値の低い学校から、高い学校へ異動していくのが校長の出世ルートではないかとまで言われていました。
もちろん、そういうデータがあったわけではない。そこで、自分でそのデータを集めてみようと思ったのです。院生のときに、校長人事が発表される4月1日の新聞を過去に遡って膨大な量集めて、データベースをつくりました、どこの校長が何年でどこへ異動していくのか。並べてみると異動のメカニズムがはっきりとわかりました。明らかに偏差値で動いていた。新任管理職は、まず偏差値の低い学校に着任し、そこで、組合対策や管理教育をしっかりやれば、次の異動で偏差値のより高い学校に異動する。偏差値の低い方から高い方へ異動するルートをそのデータは示していました。
――元兼先生の高校はいわゆる“あがり”間近の学校だったというわけですね。

そのようです。博士課程では、この研究をさらに推し進めて、校長の法制史を研究しました。私の関心は一貫して校長のプレゼンスを問うことです。一度教壇を志した教師が、なぜ教室を離れ、校長になるのか。校長とはそもそもどういった存在なのか。
例えば、100年近い歴史ある学校であれば、校長室には歴代校長の写真がずらりと並んでいます。では、この人たちはそれぞれどういう役割を担っていたのか。校史などの資料を読み漁り、当時の校長がどのようなことをしていたのかを調べました。
例えば、明治初期の学校はまだ人も少なく校務分掌も明確ではなかった。昔の記録などを見ていると、いまの校長とは違った役割を当時の校長は担っていたんです。
当時、学校は村の文化センターでした。まだ地域に学問や教養をもつ人は少なかった。例えば、学校で行われる学芸会も、子どもの学習成果を展示する場ではなく、世界地図などの学用品を展示する場でした。学校には地域の近代化を進める役割があった。校長は、その先頭にたって地域の就学督励のほか、ムラの因習を変えていく弊風改善や地域振興といった役目がありました。
戦前と戦後でも校長の役割には違いがあり、戦後だけみても、戦後初期の民主的な校長像が、勤務評定が導入されて以降、教育委員会の出先機関としてみられるようになる。校長は教育行政組織と学校経営組織の結節点なのです。
だから、校長の役割を研究すれば、教育行政が学校をどのようにコントロールしたいのかがわかる。
私の専門は、教育行政研究なのですが、その観点として校長にスポットを当てたことで、学校経営についても研究するようになったというわけです。

■“校長不足”と“経験不足”が学校を揺るがす

――現在数多くの管理職研修を手がけているそうですが。
多いときで年間30本くらいでしょうか。いままで述べてきた人事行政の研究はもちろん重要ですが、それだけをしていればいいとは思えないんです。
いい人材が校長になりたいと思う人事制度をどう構想するか。また、校長になった人が自信を持ってマネジメントをするにはどうすればいいのかを考えていかなければいけません。
いまの最大の問題は、校長をとめるブレーキがないことなんです。教頭、教務主任は、校長が右といえば右です。校長が誤った判断をしても、多くの場合はついていかざるをえない。
校長先生は、自分には権限がないと思っていらっしゃる方も多いですが、現場では自分が思う以上に力がある。その意味で校長の力量を上げることは、現場にとって死活問題なのです。だからこそ、きちんとした研修を作りたい。
団塊の世代が退職し、いまいる教頭全員を校長に昇任させても足りなくなる時代がすぐそこまできています。中堅クラスが権限だけをもって昇任しても校長になる準備ができていなければ何の意味もない。どの領域でどんな研修が必要なのか。有効な研修プログラムをつくらなくてはなりません。
ただ、誤解されたくないのは私が教えているわけではないんです。私はいわばファシリテーターで、校長先生がもっている経験や知見を引き出す研修を心がけています。
ワークシートに書き込んでもらったり、ロールプレイングをしてもらたったりして、校長先生方がいつも無意識に使っている暗黙知を形にしてもらうことを心がけています。
例えば、クレーム対応を例にとると、校長同士で保護者役と教師役を割り振って演じてもらう。皆さん経験豊富ですから驚くほど上手に演じます。そこでお互いどの発言でむっとしたのか、どの発言で相手に好感を持ったのかを話し合うんです。
そうやってロールプレイをして、やりとりを記録する。そうすることで経験が共有されます。
校長は学校に一人しかいないから、新任で赴任したときにはもう前の校長はいない。経験を共有する場がないんです。ベテラン校長が持っているこれまでの経験から知恵を取り出して共有する。経験を記録に残す研修。やってよかったと記憶に残る研修をこれからも行っていきたいと思います。(構成/本誌・西山朋樹)